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2014年08月31日

家族狩り最終回 山賀・大野のシロアリ駆除とは...

家族狩り_山賀と大野の関係?
「家族狩り」 最終回(9/5)予告動画

金曜ドラマ家族狩りですが、9話に来て様々な謎だったり要素ががっしりと繋がった感じがしました。人によっては一気に興ざめした、っていう人もいたみたいですね^^;

家族狩り9話の感想で、山賀と大野がまるで給食当番っていうのがあり、あの場面を深刻に捉えたくないっていう感情があったのかな?

家族とは何だろう?という部分を通り越して、結局人間ってなんだろう_そんな所で自分の培ってきた道徳観念もグラつきます;;現実に立ち返って見れば、ドラマの山賀・大野の行いが許されない(犯罪)ものであることは理解出来ます。(※完全犯罪の為の装備と思われる。)

反面、ドラマとはいえ崩壊寸前の家族を包む苦しみは放置しがたい_とも感じるわけです。所詮他人ごとだからこそ、じっくり自分に置き換えて考えてみたい_。

天童荒太さんの原作小説は読んでないけど、ドラマの再現力はなかなかだったのではないでしょうか?原作でも"連続一家心中事件"の犯人は山賀・大野(元夫妻?)による犯行のようですし。

末期の家族?

ほんの些細な出来事で、この世界は息苦しさに満ちてしまう。andropの主題歌「shout」が最終回に向けてリアリティを放ちます。

末期の家族だなんて他人から言われたくないな、とりあえず。

みんなどこかで少しづつ間違っている。游子を犯人と決めつける馬見原だって、芳沢亜衣にしても。真実は一つなのに_と言ってしまえば簡単な話なんだけど、この距離感を測れないから人生は苦しい。このドラマを見ていると客観的にそう思えてくる。

真実はさておき、今日信じられるモノが何であるかが重要になってくる。小さな気持ちの積み重ねがあって、普遍的じゃないとしても、そこに「家族」が横たわって来たのでは?

シロアリ駆除の真意

家族を送る(葬送の儀)事が、シロアリ駆除だと言うのなら、守られるのは家という容れ物であって人間そのものではない?家族という体裁を汚さない_という捉え方も出来る。

山賀や大野は過去に家族に失敗した経験があり、そんな自分自身を救済する行為に埋没している可能性もある。傷を負ったのであれば癒やさなくてはならないのが人間。それぞれに自分にとっての真実があり、それを守ることが存在意義とも感じます。

氷崎游子は生の中にしか希望はない_と考えているのかもしれないけど、山賀や大野は違う。目の前の人間を守りたい游子と、家族という在り方を汚したくない山賀達。

過去に狩られた家族達は救われたというより、希望を失って逝ったのではないでしょうか?游子に見える希望も山賀達には見えなかっただけ_彼らはやはり自己完結を優先させている。

もっと言えば"快楽殺人者"という素顔も見えてきます。

そこに純粋に苦しむ"家族"が絡むから話がややこしくなる;;氷崎游子や巣藤浚介の心の強さは見習いたいほどですけどね!

この世から私を消して欲しい

中村ゆりか_家族狩り

芳沢亜衣(中村ゆりか)がシロアリ駆除に来た、大野(藤本隆宏)に"誰にも利用されたくない、私をこの世界から消して"_と懇願する場面が結構切なかったです。

芳沢家の社会的体裁のために自分自身の心が蔑(ないがし)ろにされて来た事への不満というか絶望があったとしたら、いつか亜依自身が家族を手にかける日が来てしまう?本当はそんな事はしたくない、だから自分だけがこの世界から消えたい。

案外正常なイデオロギーではないだろうか?

家族を愛したかった分だけ、失望も大きかった。

過去に亜依は父親をナイフ(包丁)で切りつけている。一体彼女は家族に何をされたというのだろうか?その動悸に疑問を抱いた人は、少なからずいたはず?

_何もしてもらえなかった?

ここで思い出されるのが亜依の"利用されたくない"_という気持ちです。この芳沢家を裏で支えていたのは、この娘だったという考え方も出来るのです。自分が枯渇するほどの愛情を今までそそいでいたのかも?

我慢も"愛情"がなければ難しいです。

人を救うという行為の代償

氷崎游子の"人を救いたい"_という意識も、それを向けられた方にしてみれば、ただの迷惑行為に成り下がってしまうかも。 必要とされない"孤独"から目をそむけてるだけだろって。


「最後の解決方法を取りましょう」、、、山賀達には恐怖よりも憤りを感じてしまいました。ドラマの世界と現実を氷崎游子の感情ががうまく繋いでくれていますよけどね。

どうやって人を救うのか_ではなく、いかに自分自身を救うのか?

山賀・大野にしても、やっぱり自分を救うために殺人行為を肯定しているように感じるのです。死の恐怖を目の前にして、家族への愛を再確認させるという手段に酔っているのでは?

生きているだけでは、この世に存在している事にはならない。

やっぱり人との繋がりを考える時に、根っ子の部分に家族が存在しないと気持ちが巡らない気がします。自分自身が新しい家族を作る時の道標でもあるわけで、、、。

回を重ねるごとに輝きを増す松雪泰子さんの演技。氷崎游子という役柄と共に、松雪泰子さんの女優としての存在感も復権していくような気がします。

認知症を患う游子の父、氷崎清太郎がじつはボケていなかった(犯人)説にちょっとだけ期待していました。彼が一連の連続一家心中事件の犯人だったら面白いって_w

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